Introduction研究概要

研究の目的

本研究の目的は社会性を鍵とした新たな人類進化理論の構築にあります。そのために、人間の諸社会を対象とする人類学と、人間に近縁な霊長類の諸社会を対象とする霊長類学という2つのフィールド系学問の協働を軸に、研究を展開します。さらに比較認知科学や社会心理学などの実験系分野、古人類学や形質人類学などの自然人類学系分野といった隣接諸学との対話を通じて、近年の知見を広く取り入れた学際的な共同研究を行います。このように社会性をめぐって、地域、文化、そして種をも超えた比較研究をすることにより、「われわれはどこから来て、何者であり、どこへ向かうのか」という人類学の究極課題を問い直します。

社会性への着目と学術的重要性

人間を含む霊長類の多くは、群居性動物として、さまざまな様態で群れ集い、平和的に、また時には敵対的/競合的に、あるいはまた最小限のかかわりを維持しながら、他者と共に生きています。なかでも人間は、極めて多くの個体との共存を実現している点において他の霊長類と異なります。ペアや家族や共住集団といった対面的な共存をするばかりでなく、民族集団や国民、果ては全人類の共存までを「想像」することができます。こうした全地球的規模の多様な共存を根底で支えているのは、人間の社会的なあり方、すなわち高次の社会性にほかなりません。
    この社会性にかんして、近年2つの隣接分野における目覚しい研究の進展があります。脳神経科学と連結しつつ人間の心的過程の解明とその進化モデルの構築を進める進化心理学、比較認知科学、社会心理学等の実験系分野、そして、初期化石人類や化石類人猿の相次ぐ発見とゲノム解析技術の急速な進展に伴って、形態的(生物身体的)側面のみならず、初期人類の行動や社会的な側面についても多くの仮説が提出され始めた自然人類学系分野です。いずれも人類の社会性の起原と進化をその射程に入れていますが、本研究ではさまざまな人間集団や野生霊長類の群れといった社会の現場に身を置き、そこで繰り広げられる社会性の具体的な現れを対象とする視座から社会性を探究します。     
    本研究では、社会性を、個体に内在する内的過程(心理機序)だけでなく、群居という状況における複数個体間の相互行為のあり方、ととらえることを提唱します。人類が進化の過程で獲得してきた社会性は、高い知性とともにわれわれを他の生物から区別する特質です。けれども、人間の社会に普遍的にみられる社会性が、真に人間に特異であるか否かを確定するためには、近縁の異種との比較が不可欠です。本研究が人間と霊長類の社会を、共に、同等の資格において対象とする必然性はまさにここにあります。

創造的意義

人間のさまざまな特性を進化の枠組で解き明かそうとする試みは、今日、多くの学問分野で進められています。進化生物学や進化心理学といった生物学的な基礎の上に成り立つ学問分野だけでなく、進化言語学や文化進化論や法制度の進化的考察など、人文社会科学系の分野においても、新たな視点で進化が語られるようになってきました。そのようななか本研究は、次のような3つの特徴を持つ研究として独創的な意義があります。

本研究が持つ3特徴

1)フィールドにおける社会性の実態に関するデータを中核とする実証的研究

2)人類学と霊長類学の協働によって達成される種間および種内集団間の比較に基づく研究

3)比較認知科学や社会心理学などの実験系分野や、古人類学や形質人類学などの自然人類学系分野といったより広い学際的共同研究

この三つを組み合わせる試みは独創的であると同時に、進化の枠組みから人間の特性を探究する潮流において意義があると考えます。

「ヒトを見るようにサルを見、サルを見るようにヒトを見る」

本研究の出発の基盤となっているのは、人類社会の起原の究明という目的を共有してきた、日本の霊長類学と生態人類学の伝統です。これを牽引したのは、今西錦司(1902-1992)と伊谷純一郎(1926-2001)ですが、そこでは、霊長類と人間の研究を、同一の討論の場に置き、いわばヒトを見るようにサルを見、サルを見るようにヒトを見るという、視点と方法論が徹底されてきました。
   欧米の霊長類学が、動物行動学(ethology)の系譜の中から生まれたこととは異なり、日本の霊長類学は、社会と文化、ときには歴史さえ、サルにも認める、広義の人類学として始まりました。現在に至るまで日本由来の霊長類学は、同じく日本で独自に生まれ育ってきた生態人類学と進化という一点において緊密な関係を維持してきましたし、日本の文化社会人類学の一部もまた、そうした場に積極的に関わり、世界的にも独自の位置づけを見出しつつあります。本研究では、これをさらに推し進めると同時に、国内外に向けてこの独自の学問的意義の認知度を高めていきたいと考えています。

研究方法

本研究では、群居という状況における多数個体間の相互行為の在り方から社会性を捉えるために、エスノグラフィーの視点と方法を採用すると同時に、地域・文化、種を超えた比較に耐えるデータ収集のための調査手法の開拓を行います。

エスノグラフィー

対象: 人間の生活集団や野生霊長類の群れ

調査方法: 「現場性」と「全体性」に注意を払いつつ、社会的存在として出会う個体同士の相互行為のプロセスの詳細を観察・記述

分析・考察: フィールド調査のデータを持ち寄り、連続的に共同討議を進めることにより、それらの相互関連を比較に基づいて多角的に考察

※進化研究にしばしばみられる、社会行動や文化現象をも個や遺伝子で説明しようとする還元的定式化への指向や数理への依拠を乗り越えようとする試みでもあります。

地域・文化の違い、種の違いを超えた分析考察

・地域・文化——アジア、アフリカ、オセアニア、北極圏など——、そして種——つまり、ヒト、ニホンザル、チンパンジー、ゴリラなど——の違いをも超えて、最大限、同じ方法で同質のデータを収集し、それらを同じ概念を用いて分析・考察する。

・個体間の相互行為を観察し記述する、方法的試みとして、たとえば、霊長類学で一般的な、「個体追跡法」を人類学においても採用してみること,それが現実的にどのように可能か、あるいは不可能か——サルとヒトではデータの取り方も分析、考察のしかたも異なっているであろうし、どのようなレベルで何を共有できるのか、できないのか——といった問題を検討することから開始しようと考えています。

※活動の内容や複雑さが異なる、諸種の共住集団において、比較分析に耐えうる同等な質・量のデータを収集するのは容易ではありません。このことは、人類学者と霊長類学者の協働による長期継続的な学術的探究が内・外とも極めて希少であることの一因にもなっています。

 

研究成果の公開・発信

本研究では研究成果を、国内だけでなく海外へ向けても発信していきます。


関連文献・情報の収集・データベース化

国内および国際ワークショップ・シンポジウム(研究者対象)
海外の研究者を招聘して国際協働のもとに研究の高度化を図るとともに、本研究のオリジナルな意義について国内だけでなく海外へも発信します。また若手主催の集会や、最終的な総括としてのシンポジウムを行います。

公開シンポジウム・講演会(一般対象)
  研究成果を専門家以外にも広く公開するためのシンポジウムや、リレー講演会を行います。

日英webサイト
 研究活動の進展の詳細を日本語、英語にて発信します。

和・英文での図書の刊行
本研究の基礎となった共同研究と同様に、日本語と英語の両方で図書を刊行しますが、これに海外研究者の寄稿を要請しようと考えています。

そのほか、既存の国内・国際学会等でパネルセッションを組むことや、調査国を含む海外の研究者との国際共著論文の執筆などを通して、積極的な成果発信に努めます。